2023年04月13日
tokimekiroman at 12:42 Permalink
兼六園は桜が満開!
2022年11月20日
tokimekiroman at 19:00 Permalink
大聖寺の町を歩く
2022年07月04日
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金沢城の眺め
2020年09月09日
2020年09月08日
前田土佐守家の屋敷跡
先日、玉川図書館の近くを歩いていたら、前田土佐守家の屋敷跡を発見(?)しました。
「このあたり」という漠然とした場所は分かっていたのですが、具体的な場所は知らなかったのです。
それが金沢市の表示看板まであるではありませんか!
その表示看板は、瀟洒なマンションの横に、ひっそりと立っていました。
「加賀八家 前田家(直之系)屋敷跡」という表示があります。
八家(はっか)というのは、加賀藩の年寄(家老)の職にあたる門閥のことです。
元禄3年(1690年)、5代藩主前田綱紀が定めたもので、
本多家 5万石、長家 3万3000石、横山家 3万石、前田家(長種系)1万8000石、
奥村家(宗家)1万7000石、村井家 1万6569石、奥村家(支家)1万2000石、
前田家(直之系)1万1000石 があったそうです。
前田家(直之系)が現在、前田土佐守家と呼ばれていて、長町に前田土佐守家資料館があります。
地図によると、屋敷の西側に、長家(現玉川公園)があり、その南側に、村井家(現中央小学校)があります。
玉川公園に行ってみました。
市民の憩いの場所になっています。
公園の片隅に、表示看板が立っています。
「長家屋敷跡」となっています。
玉川図書館で本を読んで、疲れたら、玉川公園に来て、加賀八家の前田家(直之系)や長家の屋敷が立ち並んでいた時代に思いを馳せてみるのもいいかも知れません。
「このあたり」という漠然とした場所は分かっていたのですが、具体的な場所は知らなかったのです。
それが金沢市の表示看板まであるではありませんか!
その表示看板は、瀟洒なマンションの横に、ひっそりと立っていました。
「加賀八家 前田家(直之系)屋敷跡」という表示があります。
八家(はっか)というのは、加賀藩の年寄(家老)の職にあたる門閥のことです。
元禄3年(1690年)、5代藩主前田綱紀が定めたもので、
本多家 5万石、長家 3万3000石、横山家 3万石、前田家(長種系)1万8000石、
奥村家(宗家)1万7000石、村井家 1万6569石、奥村家(支家)1万2000石、
前田家(直之系)1万1000石 があったそうです。
前田家(直之系)が現在、前田土佐守家と呼ばれていて、長町に前田土佐守家資料館があります。
地図によると、屋敷の西側に、長家(現玉川公園)があり、その南側に、村井家(現中央小学校)があります。
玉川公園に行ってみました。
市民の憩いの場所になっています。
公園の片隅に、表示看板が立っています。
「長家屋敷跡」となっています。
玉川図書館で本を読んで、疲れたら、玉川公園に来て、加賀八家の前田家(直之系)や長家の屋敷が立ち並んでいた時代に思いを馳せてみるのもいいかも知れません。
2019年11月19日
2019年10月03日
2019年06月04日
木場潟の花見
2019年03月18日
冬の布橋十二ヶ滝
冬の布橋十二ヶ滝
今年の冬は暖冬傾向で、雪国にしては珍しく、ほとんど雪がない状態です。
そんなある日、2月6日(水)のこと、ドライブがてら、小松市の山間(やまあい)の方面に向かいました。
こちらが、布橋十二ヶ滝というところです。
布橋十二ヶ滝は、小松市の山あいの川筋にあり、落差は4メートル、幅は36メートルで、名前の通り、12本の筋に分かれて落ちています。
そのさまは、まるで外国の有名な滝をほうふつとさせます。
滝の横に駐車場があり、看板が立っています。
2月でも、かなりの水量でしたが、4月から6月にかけては、雪解け水で川が増水するので、迫力があるそうです。
また、別の季節に訪れてみたいと思わせる景色です。
今年の冬は暖冬傾向で、雪国にしては珍しく、ほとんど雪がない状態です。
そんなある日、2月6日(水)のこと、ドライブがてら、小松市の山間(やまあい)の方面に向かいました。
こちらが、布橋十二ヶ滝というところです。
布橋十二ヶ滝は、小松市の山あいの川筋にあり、落差は4メートル、幅は36メートルで、名前の通り、12本の筋に分かれて落ちています。
そのさまは、まるで外国の有名な滝をほうふつとさせます。
滝の横に駐車場があり、看板が立っています。
2月でも、かなりの水量でしたが、4月から6月にかけては、雪解け水で川が増水するので、迫力があるそうです。
また、別の季節に訪れてみたいと思わせる景色です。
2018年04月07日
2018年01月15日
冬の味覚・カキを味わう
2016年10月21日
2015年12月19日
初冬の和倉温泉の旅
先日、妻と一緒に、能登半島の和倉温泉に出かけてきました。
まず、七尾市の能登食祭市場へ。ここで、おみやげなど、お買い物を少し。
近くの七尾マリンパークに、あの「長谷川等伯像」がありました。直木賞作家・安部龍太郎さんの「等伯」で一躍有名になったようです。
このあと、郊外の能登蘭の国へ足をのばしてみました。
このあと、能登島へ足をのばし、和倉温泉へ。
旅館で、ゆでたまごの券をもらい、歩いて、和倉の源泉に向かいました。
ここがその源泉。
源泉にたまごを入れて、およそ20分。
旅館に帰って、食べてみたら、中味がとろりとした「温泉たまご」になっていました。
和倉の町をそぞろ歩き。全国的にも有名な旅館が見えました。
こちらは、和倉温泉の総湯館。
のれんが風に揺れていました。
こちら、今宵の宿にもどってきました。
夕食は、ごらんのような豪華版!
お造りに、
カニに、
あわびの姿焼といったあんばい。
日本海の味を堪能する夕食でした。
アルコールも少々入って、あとは、ぐっすり。
目覚めて、部屋の窓から外をながめると、うっすらと明るさをとりもどした七尾湾と能登島の風景が広がっていました。
この旅をプレゼントしてくれた息子に感謝しながら、帰途に着きました。
まず、七尾市の能登食祭市場へ。ここで、おみやげなど、お買い物を少し。
近くの七尾マリンパークに、あの「長谷川等伯像」がありました。直木賞作家・安部龍太郎さんの「等伯」で一躍有名になったようです。
このあと、郊外の能登蘭の国へ足をのばしてみました。
このあと、能登島へ足をのばし、和倉温泉へ。
旅館で、ゆでたまごの券をもらい、歩いて、和倉の源泉に向かいました。
ここがその源泉。
源泉にたまごを入れて、およそ20分。
旅館に帰って、食べてみたら、中味がとろりとした「温泉たまご」になっていました。
和倉の町をそぞろ歩き。全国的にも有名な旅館が見えました。
こちらは、和倉温泉の総湯館。
のれんが風に揺れていました。
こちら、今宵の宿にもどってきました。
夕食は、ごらんのような豪華版!
お造りに、
カニに、
あわびの姿焼といったあんばい。
日本海の味を堪能する夕食でした。
アルコールも少々入って、あとは、ぐっすり。
目覚めて、部屋の窓から外をながめると、うっすらと明るさをとりもどした七尾湾と能登島の風景が広がっていました。
この旅をプレゼントしてくれた息子に感謝しながら、帰途に着きました。
2015年12月10日
2013年12月14日
2013年11月18日
tokimekiroman at 20:08 Permalink
県中央公園の夜景
先日、用事で香林坊に行った折、16日のことですが、香林坊の県中央公園に立ち寄ってみました。
ちょうどこの日、かねてから進められていた県中央公園の再整備工事が完成し、供用開始となっていたのです。
再整備工事は、今年の5月に始まり、園内の樹木22本を伐採し、13本を金沢市の北部公園に移植したそうです。
以前と比べ、すっきりした雰囲気になりました。
芝生の広場が透水性舗装の広場となり、集会や催事の際にも足元が汚れないようになっているようです。
金沢の中心部にある公園なので、県民が気軽に休める「憩いの場」であってほしいものですね。
ちょうどこの日、かねてから進められていた県中央公園の再整備工事が完成し、供用開始となっていたのです。
再整備工事は、今年の5月に始まり、園内の樹木22本を伐採し、13本を金沢市の北部公園に移植したそうです。
以前と比べ、すっきりした雰囲気になりました。
芝生の広場が透水性舗装の広場となり、集会や催事の際にも足元が汚れないようになっているようです。
金沢の中心部にある公園なので、県民が気軽に休める「憩いの場」であってほしいものですね。
2013年07月23日
畑のスイカ 収穫近し
今年は暑い夏のおかげで、畑のスイカの生育が順調です。
ナスやトマトも順調に生育しています。
それにしても暑い毎日!
熱中症対策が必要。
作業をちょっとして、すぐ日陰に逃げ込みます。
ナスやトマトも順調に生育しています。
それにしても暑い毎日!
熱中症対策が必要。
作業をちょっとして、すぐ日陰に逃げ込みます。
2012年12月13日
tokimekiroman at 22:11 Permalink
秋の大聖寺を歩く
秋の大聖寺を歩く
先日(11月19日)、秋晴れの爽やかな一日、大聖寺の町を散策しました。
大聖寺は今は加賀市という町ですが、江戸時代は、加賀藩の支藩で、大聖寺藩10万石の城下町でした。
加賀市中央図書館の横にある「大聖寺ふれあい広場 古九谷の杜」からスタートです。ここは、これまでにも何度か足を運んだことのあるお気に入りの場所です。
春は桜がきれいですが、秋の風情も何とも言えません。
大聖寺の本町あたりを歩きました。
昔の面影を残す鐘楼がありました。
次に、旧大聖寺川に行ってみました。
舟に乗って、川の上から風景が楽しめるところです。
八間道船乗り場といいます。
このあたりから、川のすぐそばを歩けるようになっています。
ススキの穂が風に揺れて・・・
旧大聖寺川の横に、水守神社という神社があります。
川に架かった橋は、弁天橋・・・。
昔は、このあたりも舟が行き来していたのかなと思いながら、川沿いの道を歩いてきました。
空には、うっすらと雲が流れ、時が流れるのも忘れさせてくれるような光景でした。
大聖寺は、歩いていて、心が静まるいい町です。
また来てみたいと思わせるところです。
今度は、どこを歩こうかな?
先日(11月19日)、秋晴れの爽やかな一日、大聖寺の町を散策しました。
大聖寺は今は加賀市という町ですが、江戸時代は、加賀藩の支藩で、大聖寺藩10万石の城下町でした。
加賀市中央図書館の横にある「大聖寺ふれあい広場 古九谷の杜」からスタートです。ここは、これまでにも何度か足を運んだことのあるお気に入りの場所です。
春は桜がきれいですが、秋の風情も何とも言えません。
大聖寺の本町あたりを歩きました。
昔の面影を残す鐘楼がありました。
次に、旧大聖寺川に行ってみました。
舟に乗って、川の上から風景が楽しめるところです。
八間道船乗り場といいます。
このあたりから、川のすぐそばを歩けるようになっています。
ススキの穂が風に揺れて・・・
旧大聖寺川の横に、水守神社という神社があります。
川に架かった橋は、弁天橋・・・。
昔は、このあたりも舟が行き来していたのかなと思いながら、川沿いの道を歩いてきました。
空には、うっすらと雲が流れ、時が流れるのも忘れさせてくれるような光景でした。
大聖寺は、歩いていて、心が静まるいい町です。
また来てみたいと思わせるところです。
今度は、どこを歩こうかな?
2012年12月08日
「寺島蔵人の文書を読む」第4回
このところ、猛烈に寒く、強風の日が多いですね。
先日(12月7日)、 「寺島蔵人の文書を読む」という講座の第4回を聞きに、出かけて来ました。
県立美術館広坂別館の庭は、ごらんのとおり、うっすらと雪におおわれています。
講師は、おなじみ、長山直治さんです。
古文書の解読が始まる前に、余談があり、これに興味を惹かれました。
先日の新聞に、「兼六園の名付け親は、白河藩主・松平定信である」との定説をひっくり返す古文書が発見されたとの記事が出ていたことが話題になりました。
記事によると、金沢の渡邊金雄さん夫妻が定信の日記「花月日記」 を調べたところ、定信が「兼六とはどういう意味か、尋ねにやった」との記述があり、定信が名付けたものではないと結論付けたとのことです。
これについて、長山さんは「根気良く調べたたまものですね」と評価をされておられました。
古文書のほうは、寺島蔵人が役職を解かれ、逼塞を命じられた経緯を記した文書を解読してもらいました。
雪が降る寒い日だったのに、会場いっぱいの熱心な受講者・・・。正直、驚きました。
先日(12月7日)、 「寺島蔵人の文書を読む」という講座の第4回を聞きに、出かけて来ました。
県立美術館広坂別館の庭は、ごらんのとおり、うっすらと雪におおわれています。
講師は、おなじみ、長山直治さんです。
古文書の解読が始まる前に、余談があり、これに興味を惹かれました。
先日の新聞に、「兼六園の名付け親は、白河藩主・松平定信である」との定説をひっくり返す古文書が発見されたとの記事が出ていたことが話題になりました。
記事によると、金沢の渡邊金雄さん夫妻が定信の日記「花月日記」 を調べたところ、定信が「兼六とはどういう意味か、尋ねにやった」との記述があり、定信が名付けたものではないと結論付けたとのことです。
これについて、長山さんは「根気良く調べたたまものですね」と評価をされておられました。
古文書のほうは、寺島蔵人が役職を解かれ、逼塞を命じられた経緯を記した文書を解読してもらいました。
雪が降る寒い日だったのに、会場いっぱいの熱心な受講者・・・。正直、驚きました。