2012年03月

2012年03月29日

「加賀藩江戸藩邸の概要」

「加賀藩江戸藩邸の概要」

北國新聞文化センターの講座 『続・加賀藩から石川県へ』が始まり、きょう(3月29日) は「加賀藩江戸藩邸の概要」を聴いてきました。
会場は、旧制四高の赤レンガ校舎で、今は石川四高記念文化交流館となっています。

講師は石崎建治さん(金沢学院大学文学部准教授)です。
「幕末加賀藩士の江戸勤番生活」 (3回シリーズ)の第1回で、加賀藩上屋敷の変遷、「御殿空間」、「詰人空間」の概要、発掘の成果から見る藩邸生活などについてのお話でした。

加賀藩の上屋敷は当初は江戸城に近い辰口邸でしたが、その後、火災にあい、筋違邸、本郷邸と変遷します。
安政3年(1856年)の記録では、
①本郷上屋敷 (10万3000坪)
②駒込中屋敷 (2万坪)
③板橋下屋敷 (21万7000坪)
④深川蔵屋敷 (2000坪)
があったそうです。


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加賀藩本郷邸(上屋敷)

21万坪を超える広大な板橋の下屋敷には、池や竹林、舟小屋、畑などがあり、藩主が息抜きの場所として使っていたようです。

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加賀藩板橋邸(下屋敷)

今は東大本郷キャンパスとなっている本郷邸の発掘調査では、さまざまな出土品が出ており、藩主や藩士の生活ぶりの一端がしのばれるということです。





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2012年03月21日

寺島蔵人の文書を読む

寺島蔵人の文書を読む

きょう、「 寺島蔵人の文書を読む 」という勉強会が県立美術館別館であり、参加して来ました。
講師は、長山直治さん。『寺島蔵人と加賀藩政―化政天保期の百万石群像―』という著書もある人で、寺島蔵人研究の第一人者です。

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長山直治 『寺島蔵人と加賀藩政―化政天保期の百万石群像―』 (桂書房)

寺島蔵人については、昭和57年に若林喜三郎監修『島もの語り―寺島蔵人能登島流刑日記―』(北国出版社)が刊行され、さらに昭和60年には、 若林喜三郎監修『続 島もの語り―寺島蔵人流刑地能登島からの手紙―』(北国出版社)が刊行されています。

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若林喜三郎監修『島もの語り―寺島蔵人能登島流刑日記―』(北国出版社)

長山さんは、寺島蔵人が藩政批判をとがめられて、能登島に流刑となった時の「申し渡し書」と、能登島から金沢の家族に送った手紙などを解読しながら、お話をされました。
特に、妻のとしに宛てた手紙は、愛情あふれる内容で、ほろりとさせられました。

それにしても、いつもながら、古文書を解読するのはほんとに難しいなと痛感します。









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