2012年01月30日
「木曽義仲と北陸道の合戦」
「木曽義仲と北陸道の合戦」
雪の中、歩いて大乗寺坂へ。ここは、その昔、曹洞宗の大乗寺があったので、その名がついたといわれます。
大乗寺坂の途中で、振り返ると、金沢の街が下に広がっています。景観は生育した木立ちのために少しさえぎられていますが、昔なら、きっと素晴らしい眺めだったと思われます。
坂を上がりきると、石川県本多の森庁舎。以前、石川厚生年金会館だったところ。
県民大学校記念講演で、金沢学院大学教授の東四柳史明さんの「木曽義仲と北陸道の合戦」というお話を聴きました。
『吾妻鏡』や公家日記をもとに、義仲の上洛作戦をたどる内容でしたが、義仲は上洛途上の戦いがあまりにもうまく進んだために、「原点」を見失ったのではないか、という見方が印象に残りました。
雪の中、歩いて大乗寺坂へ。ここは、その昔、曹洞宗の大乗寺があったので、その名がついたといわれます。
大乗寺坂の途中で、振り返ると、金沢の街が下に広がっています。景観は生育した木立ちのために少しさえぎられていますが、昔なら、きっと素晴らしい眺めだったと思われます。
坂を上がりきると、石川県本多の森庁舎。以前、石川厚生年金会館だったところ。
県民大学校記念講演で、金沢学院大学教授の東四柳史明さんの「木曽義仲と北陸道の合戦」というお話を聴きました。
『吾妻鏡』や公家日記をもとに、義仲の上洛作戦をたどる内容でしたが、義仲は上洛途上の戦いがあまりにもうまく進んだために、「原点」を見失ったのではないか、という見方が印象に残りました。