歴史・時代小説

2005年04月23日

杉本章子「写楽まぼろし」

杉本章子という作家に注目している。
「江戸繁盛記」の作者・寺門静軒を描いた「男の軌跡」(昭和54年)で歴史文学賞佳作に入選して作家デビュー、浮世絵師・写楽の謎に迫る「写楽まぼろし」(昭和58年)で直木賞候補、さらに、「江戸名所図会」や「武江年表」を著した斎藤月岑を描いた「名主の裔」(昭和60年)でも直木賞候補、そして、最後の木版浮世絵師・小林清親を描いた「東京新大橋雨中図」(昭和63年)で直木賞を受賞している。
 杉本章子の作品を読む時、その歴史的事実の緻密さ、素晴らしさに驚かされる。それもそのはず、作者は江戸文学の研究者なのである。

c59e481f.jpg

杉本章子「写楽まぼろし」(文春文庫)


 写楽を描いた作品は数多い。
 写楽はいったい誰なのか。わずか10ヶ月の間に140点もの浮世絵を世に出しながら、忽然と消えた謎の浮世絵師。分からない部分が多いだけに、作家の想像力をかきたてるのだろう。
 手元の「広辞苑」を見ると、
「写楽 江戸中期の浮世絵師。号は東洲斎。徳島藩主蜂須賀候のお抱え能役者というが不明。僅かに1794?95年に作られた役者絵と相撲絵を残すのみ。・・・生没年不詳」
となっている。

 杉本章子は、その謎に一つの解答を出している。
 それは、地本問屋で、写楽の浮世絵を出版した蔦重(=蔦屋重三郎)の「○○」という訳である。面白い解釈だと思った。
 作中に、歌麿や平賀源内、山東京伝などが登場してくるのも、面白く読ませてくれる。
 ともあれ、江戸の文化の匂いを充分に堪能できる小説である。
「名主の裔」(文春文庫)と併せて一読を薦めたい。





Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月09日

藤沢周平「暗殺の年輪」

「暗殺の年輪」は藤沢周平の出世作というべき作品である。
作者は「溟(くら)い海」で昭和46年の「オール讀物新人賞」を受賞し、「暗殺の年輪」で昭和48年上半期の直木賞を受賞して、作家としてのスタートを切っている。
今回紹介する作品集「暗殺の年輪」には、直木賞受賞作の「暗殺の年輪」をはじめ、「溟い海」「囮」「黒い縄」など5編が収められている。

「暗殺の年輪」の舞台は、藤沢周平が生み出したあの「海坂(うなさか)藩」である。
それは作品の冒頭近くにこんな形で登場してくる。
・・・
 丘というには幅が膨大な台地が、町の西方にひろがっていて、その緩慢な傾斜の途中が足軽屋敷が密集している町に入り、そこから七万石海坂藩の城下町がひろがっている。城は、町の真中を貫いて流れる五間川の西岸にあって、美しい五層の天守閣が町の四方から眺められる。
・・・
藤沢ファンにはたまらないイントロだろう。
主人公の葛西馨之介(けいのすけ)は海坂藩士だが、その父がある重臣を暗殺しようとして失敗し、横死する。のちに、馨之介はその人物を暗殺するために赴くのだが、なぜそうなったのか、ここが眼目なので、すべてを明かさないが、ぐいぐいと読ませてくれる。

44e7aa45.jpg

藤沢周平「暗殺の年輪」(文春文庫)


この作品の中のクライマックスシーンはこんなふうだ。
・・・
「くせもの!」
 叫んで、左側にいた男が刀を抜こうと躰を捩ったが、馨之介の抜き打ちが、一瞬早く胴を斬り裂いていた。
 倒れかかってきた相手の躰を蹴倒すように躰を翻したとき、馨之介は耳もとにすさまじい刃風を聞いた。辛うじて傾けた頬を冷たい感触がかすめ、鋭い痛みがそこに残った。
・・・
まさにハラハラドキドキのシーンである。
馨之介を暗殺に駆り立てた者の背後には、藩のどす黒い陰謀が隠されていたのである。

もう1編にふれると、「溟い海」は晩年の北斎を描いた作品である。その頃、「東海道五十三次」を描いて広重が台頭していた。北斎がそういう広重に対して抱いた感情が微細に描出されていく。
どちらかといえば、暗い、地味な作品だが、藤沢ファンには、ぜひ一読を薦めたい。



Comments(0)TrackBack(0)

2005年03月20日

池波正太郎「鬼平犯科帳」

「鬼平犯科帳」は実に魅力あふれる読み物だ。池波正太郎の代表作といってよい。
読み始めたら次々と読みたくなる。読者を中毒にするようなしかけがある。
「鬼平犯科帳」の魅力は三つあると思う。
一つは人物の魅力である。火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵は無論のこと、妻の久栄、佐嶋忠介、木村忠吾など配下の者、相模の彦十やおまさなどの密偵たち、それに盗賊にいたっても、生き生きと個性的に描かれている。
この魅力的な人物像が「鬼平犯科帳」を面白い作品にしているといってよい(と、いつのまにか、池波調になっている)。

195b2661.jpg

池波正太郎「鬼平犯科帳」(文春文庫)全24巻


二つ目は、食べ物の描写の魅力だろう。これは池波正太郎の「専売特許」のようなもので、よだれが出そうなほどにうまい描写の中に、巧みに季節感を織り込んである。

  ・・・このとき利右衛門が、手料理の白魚と豆腐の小鍋だてと酒をはこんできた。
  「や、これはよい」
  「春のにおいが湯気にたちのぼっているなあ、左馬」・・・(「暗剣白梅香」)

読者は読み進めながら、鬼平とともに江戸の食べ物を味わい、江戸の季節にふれるのである。

三つ目は江戸の風物の描写である。それは時代考証の確かさに裏打ちされている。
池波正太郎は、執筆にあたって、「江戸買物独案内」と「江戸切絵図」、それに「江戸名所図会」を座右に置いていたといわれる。
これらの書物の上に立って、池波ワールドが大きく飛翔していったのだろう。

  ・・・幅二十間の本所・横川にかかる法恩寺橋をわたりきった長谷川平蔵は、
    編笠のふちをあげ、さすがに、ふかい感懐をもってあたりを見まわした。
    鉛色の雲におおわれた空に、凧が一つのぼっている。・・・(「本所・桜屋敷」)   

私も以前、「江戸切絵図」を片手にして、東京の本所・深川界隈を散策したことがある。切絵図にある場所をたどりながら、空想の世界に遊ぶのは実に楽しいものである。
台東区の池波正太郎記念館(生涯学習センター内)を訪れたこともある。そこには、池波正太郎の書斎が生前の姿のまま保存されていた。原稿用紙や万年筆も置いてある。
私はそこに、かがみ込むようにして原稿に向かう池波正太郎の姿を一瞬見たように思った。

これからも折にふれて読んでみたい作品である。

Comments(2)TrackBack(0)

2005年03月12日

岡本綺堂「半七捕物帳」

歴史小説や時代小説に興味を抱いたのは、いつ頃のことだっただろうか。
私がそうした小説に惹かれるのは、それらが時間や空間を超えて、何か語りかけてくるものがあるからだと思う。現代の喧騒の中にあって、ひと時の安らぎを与えてくれる、そんな存在だからだともいえる。

a9070a9f.jpg

岡本綺堂「半七捕物帳」(光文社時代小説文庫)全6巻


そんな訳で、今回から折々にふれて、歴史・時代小説のことどもを綴っていきたいと思う。
タイトルを「城下と雲と街道と」としたが、そんなに深い意味がある訳ではない。

最初に岡本綺堂の「半七捕物帳」を取り上げてみたい。
「半七捕物帳」全69編は、大正6年から昭和11年にかけて発表された。
物語は、幕末に神田三河町で岡っ引きをしていた半七という老人の話を作者が聞き書きした形をとっている。
「半七捕物帳」は捕物帳の古典であり、のちに多くの捕物帳を生み出すことになった。野村胡堂の「銭形平次捕物控」や横溝正史の「人形佐七捕物帳」などがそれである。
綺堂は執筆にあたって、シャーロック・ホームズの影響を受けていたようで、第1話「お文の魂」の中に、
「彼は江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズであった」
との記述がある。
このような側面がある一方で、綺堂が江戸の風物詩を描こうとしたのも事実なのである。
綺堂は江戸時代に書かれた地誌「江戸名所図会」(現在、ちくま学芸文庫所収)を読んで、「半七捕物帳」の想を得たといわれている。
綺堂は大正期に江戸時代の風俗、習慣などを紹介した「風俗江戸物語」(現在、河出文庫所収)という本を書いているし、消えようとしている江戸の風俗を痛切に惜しんでいたものと思われる。

「半七捕物帳」の醍醐味は、なんといっても風俗の描写のうまさにあるといってよいだろう。

「三月末の春の日はうららかに晴れていた。
・・・半七はどこをあてとも無しに神田の家を出て、
・・・大川端をぶらぶらと歩いてゆくと、向島の桜はまだ青葉にはなり切らない、遅い花見らしい男や女の群れがときどきに通った」(あま酒売」)
春の隅田川べりの風景が目に浮かぶようである。

「半七は筋違(すじかい)から和泉橋の方をさして堤づたいにぶらぶらたどってゆくと、長い堤の果てから果てまでが二百何十本とかいう一列の柳は、このごろの霜や風にその葉をふるい尽くして、骨ばかりに痩せた姿をさびしく晒していた」(「柳原堤の女」)
このように江戸の町がいきいきと描かれているのが「半七捕物帳」の魅力である。
作品を読みながら、半七と一緒に江戸の町を歩き、あるいはまたうまいものを食べる愉しみがある。

35d22c82.jpg

半七塚(東京・浅草寺境内)


ところで、東京は浅草・浅草寺の裏手に「半七塚」というものがあり、その裏面には野村胡堂の字で次のように書かれている。

   半七は生きている
   江戸の風物詩の中に
   われら後輩の心のうちに

この言葉の中に、半七に対する私の思いもこめられているような気がする。


Comments(2)TrackBack(0)